四谷シモン















未来のイヴたち
text: Kunio Okada
(「The Body」Vol.37掲載)

 四谷シモシといえば、この世のものとは思われないほど美しい人形の創造者であるけれど、かつては唐十郎ひきいる状況劇場の花形の女形として、自らが人形と化していた。あの60年代末期の熱い時代にふさわしい天衣無縫の大胆なステージは、すでに伝説となっているけど、近頃のシモンは時おりTVドラマで滋味のある渋い演技を見せている。
 
 かつても今も、そんな役者が人形を作っている姿は、とても不思議に見える。普段でもシモンの重力を感じさせない軽やかな歩き方と、スムーズで柔らかな動作(どこにも肩肘張ったところのない、カの抜けた……)には、天上から落ちてきた天使みたいな印象があって、やはりこの人は人形のように、見られる側の人じゃないかと思うのだけれど、そんなシモンが人形を作る時には、ピノキオを作るジュゼッペ爺さんさながら、エプロンをしてひたむきに指を動かしている。その指の動きに、つい見とれてしまうけど、その指だけはまぎれもない、ダイダロスの末裔であることをあかしている。

 人形は、人間の似姿ではない。もっと遠い存在ではないだろうか。シモンの人形を見ていると、そんな思いに駆られてしまう。あの夜空の星のように遙かで気高いもののように。

 人形には、生活が無いから良い。人形師は、おそらく人間の汚れた世界から人間を(自分を? それともどこか遠いところにいるはずの愛する人を?)救い出すような思いをこめて、人形を作っているのではないだろうか?

 だからこそ、シモンやエコール・ド・シモンに集う人々の作る人形は玲瓏とした冷やかな美しさをたたえている。冬の夜空の星のまたたきのように。

 シモンの人形の人形学校を訪問すると、早朝の教会のような清冽な空気を感じる。毎日の祈りのように無心に作られた人形たちほど、純粋無垢な存在もないだろう。それは遠い星に棲む未来のイヴたちではないだろうか?



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人形愛/四谷シモン
エコール・ド・シモン