プラトン以来、ユートピアの夢は、島という地理的条件の上に描かれることが多かったが、日産自動車を設立し、日本の資本主義、企業の育成に尽力した鮎川義介は、伊豆大島ユートピア計画の夢を抱いていたという。南洋の植物を移植し、学校を寄贈し… しかし、その夢の実現は、戦争のため、果たされることなく中断してしまったが…。

2001年、つかの間のクルマとバイクのユートピアを現出させようと、Giro di OSHIMA / OSHIMA TT が催された。

鮎川家ゆかりのこの島で、鮎川純太が中心となり、大島町長をはじめ、町民の人々の多大なる協力のおかげで実現した。

出場車は、かつてパリはブローニュの森のグランプリで優勝したそのもののブガッティのグランプリ・カーや、T40 などが海外から参加し、戦前のアルヴィスやライレー。また、スタンゲリーニやバンディーニなどのイタリアの50年代のバルケッタなど、室の高いクルマが集まり、フランス、オランダ、ベルギーからも参加者がはるばるやってきた。 また OSHIMA TT には、ラッジやノートンなどのヴィンテージ・バイクも多数参加し、日本で最初にワールド・チャンピオンになった片山敬済も登場した。

小さいけれども変化に富む、大島を一周走るタイムラリーの他、海岸のサンセット・パーム・ラインを走るトライアルゼ、御神火スカイラインを走るヒルクライムが催された。

今ではまぼろしのクラシックカー・レースとなってしまったが、ぜひ復活させたいと、関係者は願っています。







 
 
 

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