text by Kunio Okada (PART-1; Activity Report 1998)
*AMICA機関紙からの抜粋
くるまが大好きな人達の冬の社交場レトロモビルで、今年(1998) 最も衆目を集めたのは2CVではなかっただろうか。何しろおよそ60年ぶりに、1台を残して後はすべて破壊されたと信じられてきた2CVのプロトタイプが新たに発見されて、その3台が並んで展示されていたのだから。しかもメイクアップされることなく、発見されたままの錆のかたまり状態で。1939年、ドイツ軍の手に渡ることを恐れ、300台もの試作車は破壊される事となったが、この3台は、とある倉庫でレンガの壁の向こう側に隠されたまま、その後の60年近い年月を誰にも知られないで眠っていた、というのもミステリアスな話だが。 ル・コルビジェが1928年に提案したマキシマム・カー、ガブリエル・ヴォワザンのビスキュテール、そしてシトロエン2CVは、自動車におけるL' Esprit Nouveauの具現化であろうか。前2者は、しかしサイクルカーやバブルカーの域を超える物ではなかったように私には恩われるのだが、2CVには明らかにそれまでの車の概念を刷新するような革新性があった。 解放後のパリで抑留中の老ポルシェの協力を得て開発が進められたルノー4CVにしてもルノー4にしても、プジョオやパナールの各車にしても、今となってはノスタルジックなよすがに過ぎないだろう。ヌーヴェル・ヴァーグの映画の中で、その映画やパリの街と同じくらい「古き良きもの」となっている。でも、2CVだけはちょっと違う。ちょうどゴダールが、他の監督とはちょっと違って、「現在」であり続けたように。 20年も前に見た映画で、アルファビルではないオムニバスの一編に、未来を舞台にしたゴダールのSFがあって、その中で何度か繰り返されるシーンは、高速道路をこちら側に向かって走る2台の2CVの姿だった。雨の中だったか、青ざめて冷ややかなその影像はとても美しく、私の記憶の印画紙に焼きついて色褪せない。最新のスポーツカーでなく、2CVを使ったところが、ゴダールの頭の良さだ。 ぼくらのヒーロー、Dr. スミスが活躍する宇宙家族ロビンソンに登場しても、2CVならおかしくない。これがDSだった日には、このモダンなSFがレトロに堕してしまう。 もしも私がMOMAでもポンピドーでも、メトロポリタンでもルーヴルでも、何か1台だけ車をパーマネント・コレクションとして所蔵しなければならない立場だとしたら、躊躇なく2CVを選ぶだろう。だって、他の車はすべて単なる工芸品、美術品にすぎないのだから。 |
![]() Andre Lefebure
Coupe Rene-Larroque (1952) |
![]() Retro Mobile (6-15, Feb. 1998, France) photo by Kunio Okada Bertoni (1934) |
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過去100年あまりのパリの歴史の中で2CVに匹敵するような存在は、あのエッフェル塔しかないだろう。この塔は決して年をとらない、とバルトは言った。2CVも、また然り。鉄で作られ、すべてが計算されつくしてつくられて…出来上がった物は、しかし、何と対極的であることか。 2CVほど開かれた車はない。2CVは非-ブルジョア的である。 私は先に、2CVは車の概念を刷新した、と述べた。より正しく表現すべきであろう。2CVこそは、ここ100年ほどの車という概念そのものを、最も端的に最も高度に一切の混在物なく、具現化した物であると。最初の2CVほど純粋な車を、私は他に知らない。強いて挙げるとするのなら、1923年のフランスGPに現れたヴォワザン・ラボラトワールであろうか。と書いて、今気がついたが、両軍とも設計はアンリ・ルフェーブルが大きく関与していた。(現代のF-1は、現代の兵器と同じく、高度資本主義の矛盾の産物で、決して純粋ではないだろう。) タイムカプセルに入れて、未来への贈り物にする場合。地球外の知的生命体への御贈答品にする場合にも、2CVがうってつけだと思われるのも、前述の理由による。 |
昨年の五月、モナコに滞在していた頃、とある一日、画家の吉田秀樹さんとコートダジュールのフランス領の方に遊びに行った。まずはサン・マキシムで、吉田さんの友人の別荘に寄った。F.L. ライトの弟子の設計による壮麗な建物が素晴らしかった。1920年代の上流ブルジョアの嬾惰な日々を彷佛とさせる空間だから、女の子を連れてきて、Histoire d' Oめいた遊ぴができるね、と私が言うと、ありがちだね、と吉田さんは一笑に付した。パリの名門美術学校の二代目だか三代目たかの御当主は離婚した男やもめで、人生のすべての事象に、もはや疲れ果て、無関心のようだった。かってはランボルギーニを何台も所有していたこともあるが、みんな手放してしまった。時を経たアールデコのタペストリーのかかる、2階まで吹き抜けの居間で、コーラを飲みながら、所在ない時を過ごした。TVではR・アルトマンのプレタポルテをやっていた。女友達がやって来て、皆でサン・トロペまで行くことにした。建物の裏手のガレージに行くと、BMWのZ-1とルノー4のごく初期のタイプが並んでいた。あえて古い4というのが、今が旬の粋であるらしい。また4であって、2CVでは駄目なようであった。私達は4に乗って出発した。しばらく走るとサン・トロペ・フェラーリというディーラーがあったので、冷やかしに立ち寄った。ピットにはR・アルヌーのリジェF-1が置いてあった。…サン・トロペの街を一回りしてから、4を停めた。そして散歩した。ブティックばかり。ムッシュウは船舶用の服の専門店で何やら注文していた品を受け取り、画伯は安くて格好良いサングラスを捜している。メアリが、それも相当高麗なメアリがあちこちに停まっていた。さすがにこの地では人気か高く、値段も他の土地で買うよりも高いということだ。新品のボディも手に入るそうだ。ヨットハーバーや、坂になった細い路地。海辺の街らしい雰囲気をあじわったが、幾分寂れた感じでもある。ヴァカンスの季節にでもなれば、もっと賑やかになるのだろうが。古いホテルの2階のバーでアペリティフ。西陽にテーブルの上のグラスが長い影を伸ばしている。店内のすべてがシルエットになっている。永い永い夕暮れ時を過ごす。画伯と一緒だと、いつも無為の時間が過ぎて行く。…サンペの絵に出て来るようなお腹の出っ張った親父さん達がペタンクをやっている公園を横切って、レストランにはいった。永い一日は、まだ終わらない。 |