6-9, May 1999. Italia
interview with Kunio Okada

(date: May 25,1999. photo: Kunio Okada)
   



塚本さん(父)とパナール・クレパルディ


アメリカ留学中の塚本くん(長男)


石井御夫婦のエルミーニ


NARDI DANESE 1500 (1947)


ZAGATO PANORAMICA


BIZZARRINI


BIZZARRINI


BIZZARRINI (1952)


今年ぼくはチシタリアで、塚本春樹さんが息子さんと一緒に「パナール・クレパルディ・アレマーノ」っていう、フランス製のエンジン・シャーシに、イタリアのおそらくミケロッティがデザインしたであろうと思われるアルマーノ製のすごく美しいボディをのせた車で出場しています。それともう1台。三鷹の石井英章さん夫婦が、エルミーニ。1951年にイタリアの1100ccクラスのチャンピオンになった車、タルガフローリオとかでクラス優勝している車で出場されて、3台とも完走しました。何度もイタリアの街並みでほぼ前後して走り、同志と走って楽しかったですね。


他の参加者といえば、アルファロメオのミュージアムから、アルファロメオのスポルティバという2台しかない試作車が出てたり、BMWのミュージアムも当時のミッレ ミリアに出した自社製シャーシ・エンジンにイタリア製の美し空力的なボディをのせたレーシングカーとか、またスターリング・モスは、メルセデス・ベンツのミュージアムから、自分が1955年に乗って優勝した722番の300SRそのもので出場したりして、スターリング・モスは一番人気があって、ちょっと止まると観客がいっぱい集まってという感じでした。


珍しいところでは、ナルディ・ダニーゼという車が出てました。この車は、戦前フェラーリがアルファロメオと袂を分かって、自社フェラーリとして再出発するとき(フェラーリという名前は、アルファロメオとの契約があって数年間は、使えなかったんですけど)「アウトアビオコストルツィオーネ815」という車を1940年のミッレ ミリアにエントリーしました。そのとき使ったエンジンが、フィアットのものを改良したエンジン(フィアット1100のエンジンを2基つなげたエンジンといわれてます)、それと同じエンジンをナルディ(当時フェラーリの技術者だった)が作った車にも積まれています。その車が今年出場してました。


フィアットトッポリーノ・ベースの珍しい車が2台出ていました。1台は、ザガートが戦後まもなくパノラミカというシリーズを作り始めました。第二次世界大戦中に開発されたレクサンという変形可能な合成樹脂(ジェット戦闘機用の風防として作られた樹脂)でウインドウグラスを作って、その曲線を生かしたデザインでした。ぼくもパノラミカを1台持っているんですけど、すごく遅いんです。でもこのミッレ ミリアに出ていた車はすごく速いので、なぜかと聞いたら、スーパーチャージャーという加吸機、エンジンの馬力を上げる装置が付いていました。なかなか活発な走りをしていました。もう1台は、フェラーリのGTOを設計したといわれるビッザリーニが、同じトッポリーノ・ベースで作った車が出場していました。これもなかなか活発な走りをみせていました。


前々からそうだったんですけど、レンタカー借りてイタリア回ったりするよりも、このミッレ ミリアで走った方が、おまわりさんが赤信号でもどんどん走ってけと言ってくれるし、観客の人たちも行け行けっていう風で、他のドライバーも先に行けって言ってくれる。とても走りやすいですね。なかには競技に反対とかいい感情を持ってみえない方もみえますので、なかなかどいてくれないとか、なかにはオープンの車に乗ってると水をかけられたりしたという話も聞きました。環境問題とか、道交法を全く守らないで走ったりしているわけですから、ある意味で反社会的なイヴェントだと思います…。


イタリアならではでしょうね。こういうことが許されるというのは。1927年から57年までこういうイヴェントがあったってことが大きい。そのノスタルジアもあって、今でも沿道のおじいちゃん、おばあちゃんが本当に身を乗り出して手を振って全体で応援してくれる。そんな感じですし。そういう光景があるっていうのが、一番ミッレ ミリアの魅力かもしれないですね。当時と同じ道も通るだろうし、やはり日本と違って昔から街並みはほとんど変わっていないですから、1927年なり47年と同じ風景の中をまた走っているのかもしれないという、ちょっと不思議な気持ちになりますね。


かつては車自体が好きだったですから、いろんな車を見るのが楽しみであったんですけど、今はそういったことよりも、人と人の住む街への興味の方が大きくなってしまってますね。だんだん車に対する興味も薄くなりつつある今日この頃ですね。

 

>> 1999年のコース(背景画像)